PHANTASY


 なじみの場所となった道具屋の前で、ロウ・フライハイトは待っていた。
 かれこれ、リアルのほうの時間で既に十分以上ここにいる。常に彼は目の前を往来する群集に目を向けていたが、待ち人が来る様子はなかった。
 しかし、あんな神妙な顔で言われては、ただ待つしかないだろう。すっぽかされたらすっぽかされたで、困るのは自分一人だ。笑い話で済ませればいい。
 そんな素晴らしき自己犠牲の精神で、ロウはひたすらに待ち続けた。
 さらに五分が経過したとき、彼の前に一人の男性が現れた。
「やあ、ロウ君。元気にしてたかい?」
「……お久しぶりです、サクライさん」
 サクライと呼ばれた男は、この街頭において実に異質だった。なにせこのファンタジー世界において、彼は黒のスーツにサングラスという、まさに黒ずくめ。メンインブラックな格好をしていたのだ。
「いいんですか? あなたがこんなところに出てきたりして。目立ちすぎです」
「ああ、それは大丈夫。一応君以外には見えないようにしてるから」
 実際、彼らの周囲の人々は何の違和感も持っていない様子である。二人の会話も秘匿会話を用いてのものなので、傍目にはロウが独り言をしているように映ることもない。
「……そういうのを、権限の濫用って言うんですよ」
「気にしない気にしない。で、私が現れたからには、分かってるね?」
 それまでのおどけた調子から一転、サクライはサングラスの奥の目を鋭く細め、ロウに言った。ロウもそれにあわせて気を引き締める。
「三日前、かなり大規模な不正アクセスがあったことが分かってね。サーバーが重くならなかったかい?」
「ええ。珍しいと思ったので、よく覚えてます」
「大変よろしい。でだ。その犯人連中がだね、大胆にもデータを改ざんしたらしいんだ。手口が巧妙な上に、今までそんな馬鹿な奴はいなかったからね。発見が遅れてしまったのは、君たちプレイヤーに非常に申し訳ないことだと思っている」
「謝罪なら、公の場でやってください。僕一人にやったところで何の意味もありませんよ」
「少しくらい慰めてくれてもいいだろうに。こう素直に謝ってるんだから」
「姿を隠している時点で素直じゃありません」
 血も涙もなく、ロウは言い放った。
「で、そのデータってのはどこを弄られたんですか」
「ああ、はっきりとは分かっていないが、一部のフィールドでPVPプログラムが改変されていた。PVPフィールドの障壁を取り除くようにね」
「障壁を取り除く? そんなことしたら……」
 ロウが先日街中で見たように、プレイヤーが発生させた特設PVPフィールドは当事者たち以外入れないようになっている。誤って発生時に範囲内に居てしまった場合は別だが。そのために、あの薄幕のドーム――障壁が張られるのである。
「そう、何も知らずに入ってきたプレイヤーを、いともあっさり葬り去ることができる。一度戦闘不能にしてしまえば、追いはぎするのは簡単だからね。そうして手に入れたアイテムを売りさばき、見た目は合法的に大儲け、というわけさ」
「成る程、考えましたね。個人のデータを弄ればすぐにばれる。だけど、マップのデータをいじくれば個人の特定は難しい……アイテムを売って金を稼ぐ、なんてこのゲームの基本ですから。その言い方だと、サーバーにはログとかも残っていないんでしょう?」
「ご名答。ついでに、被害者すらも特定できていない。そこで、君の出番というわけさ」
「……これでも僕は一プレーヤーに過ぎないんですよ? こういう問題は、あなたたちGM(ゲームマスター)が解決すべきものでしょう」
「だから、公式発表があるまで私たちは動けないんだよ。他の仕事もあるし。な、頼むよ」
「…………」
 ロウは黙り込んだ。
 いくらGMの頼みとはいえ、高度なハッキング技術を持つ相手に自分が太刀打ちできるのかどうか、それが実際の彼の心境だった。面倒くさい、という気持ちも三割ほど混ざっていたが。
 確かに普通に戦えば、ロウ・フライハイトが敗北することはまずない。しかし、そこにチート行為が入り込めば……それは確実とはいえない。
 気が向いたらやります、と答えようとロウが再び顔を上げようとしたとき、彼の視界に一人の魔法使いの姿が映った。本当の待ち人、しずくである。
 もちろんしずくにもサクライの姿は見えていないのだから、彼女の目にはロウが一人でぼんやりと待っているように映っていた。
 しずくの姿を確認したロウは、サクライを無視し、急いで彼女との秘匿回線を開いた。
 彼女はいつもの白い外套を羽織っていない。よく見れば、細かなアクセサリ類も身につけていなかった。
 そしてその表情は、何かにおびえているようだった。
「……何が、あった?」
「分からない……分からないよ」
 今にも泣き出しそうな声で彼女は言う。
 そのしずくの状態と、サクライの話。信じたくないとは思いつつも、ロウはその可能性を否定することが出来なかった。
「昨日、ウリヅラの森へ行ったら、いきなり……」
「……サクライさん、データいじくられたフィールドって」
「ああ、その通り。ウリヅラを中心に数箇所だな」
 相手がGMでは秘匿会話の意味もなく、内容が筒抜けだが今は緊急事態である。そしてロウは、その言葉で確信した。
 ウリヅラの森は低レベルのプレイヤー向けの、比較的難易度の低いダンジョンである。それに加え、ここでしか手に入らないレアアイテムをドロップするモンスターが生息することから、それ狙いの高レベルプレイヤーが訪れることも珍しくない。故に、いつも多くのプレイヤーたちでにぎわっている。つまり、人を狩るのにももってこいというわけだ。
 震えるしずくの話を要約すると、こうなる。
 一人でウリヅラの森を彷徨っていた彼女は、途中顔見知りのギルドメンバーがプレイヤー、しかも数人に襲われているのを発見した。思わず彼女が助太刀に入ると、向こうも仲間を呼び、なおかつ数体のモンスターを召喚した。もちろんまだまだ駆け出しのしずくが加勢したところで勝てるはずもなく、あえなく戦闘不能。そして次に気付いたときには、装備品やアイテムを根こそぎ奪われていて……
「由法から借りたのとか、貰ったのとかもあって……ごめん、本当に、ごめんなさい……」
 そしてついに、彼女は声を詰まらせ涙を流した。
 ロウは何も言わなかった。君は悪くない、とも気にしなくていい、とも。
ただ黙って、泣きじゃくる少女を抱きしめた。
「人前だってのに……ゲームだからってやりすぎじゃないのかい、ロウ君?」
「…………」
 茶化すサクライの言葉も、ロウには届いていないようだった。しかしサクライの忠告も尤もで、道行く人々は立ち止まりまではしないものの好奇の視線を向けながら通り過ぎていく。だが、半ば我を失っているしずくはともかく、ロウはそれすらも気にする様子はない。ただ、哀しき被害者を抱いて、突っ立っている。
 そのまま数分が経過した。
「……よし」
 ロウが顔を上げ、さすがに少し落ち着いたようであるしずくを離す。
「ちょっと、ここで待ってて。すぐに戻るから」
「う、うん……」
「どうした。まさか、犯人をやっつけに行こうとかいうわけじゃあるまいな?」
「そのまさかですよ」
 ロウは即答した。
「しずくには悪いですけど、彼女のパソコンのキャッシュファイルを覗かせてもらいました。案の定、残っていましたよ。犯人たちとの交戦時のデータ。キャラ名と容姿、IDも分かりましたから」
「……相変わらず、いい腕してるな。あの数分でそこまでハッキングするとは」
 サクライの賞賛に、ロウはただ微笑のみで答えた。
「じゃあ、後は任せる。君のことだ、まずは説得するんだろう?」
「ええ、話して聞く相手とも思えないですけど。無理なときは……」
「好きにしろ。権限ってのは、使うためにあるんだからな」
「はい」
 そのまま、サクライは人ごみに溶けるようにして消えた。それを確認し、ロウも人のいない路地裏へと移動した。
 そして一息。精神を集中させる。
「……探索(シーク)」
 その言葉と同時に、確固とした方向性を与えられた彼の魔力が、淡い光の網となって全方位に広がる。探索系の東洋魔法。使えるプレイヤーは多いが、町一つ、隅から隅までカバーするほど大規模なものを扱えるのは、全プレイヤーのうちでも十人いるかいないかだろう。
 入手したデータに該当するキャラクターを探す。しずくを襲ったのは総勢五人からなるPK集団。見つけさえすれば、後はどうにでもする自身がロウにはあった。
(……見つけた)
 幸運にも、連中は全員ログイン中だった。しかもこの町の中、ここのように人気のない路地裏に集まっている。これは都合がいい、とロウはほくそ笑んだ。
 探索を解除し、続けて転移の魔法を唱える。連中の目の前には出ずに、少し離れた位置にロウは出た。
 壁に隠れて、連中の様子を伺う。
(魔法剣士が二人に、聖職者と魔術師、それに召喚術師か)
パーティとしてはなかなかいいじゃないか、とロウは素直に思う。と、連中の一人――リーダー格らしい魔術師が身に着けている腕輪に、ロウは見覚えがあった。
 あの『アルジャーノンの腕輪』はロウがしずくにギルド加入祝いとしてプレゼントしたものだった。知性を高め、魔法の効果を高めるこのレアアイテムは魔法使いなら誰でも欲しがるものであり、しずくも大喜びしていたのをロウははっきりと覚えている。
 彼がただ単に同じ種類のアイテムを保持していただけだという可能性もあった。もちろんロウだってそれを考えずに飛び出すほど馬鹿ではない。ちゃんと考えがあった。
(話をさせれば、必ずどこかでぼろを出すはずだ)
「なぁ、君たち――」
「そこの悪党ども、やっと見つけたぞ!」
 颯爽と現れようとしたロウより先に、さらに颯爽と、しかも目立ちながら出現した男がいた。
 どこにいるのかと見回してみれば、そいつは建造物の屋根の上に仁王立ちしていた。そしてそのまま、とうっという掛け声とともにPK集団をはさんでロウの反対側に降り立つ。
 どこかで見た、赤い装備の剣士。ファルコンである。しかしよく見ると、ロウがこの前見たときとは装備が微妙に違っていた。鎧も剣も一ランク下のものだし、真紅のマントもちょっと古くなっているように感じられる。
 ファルコンはびしっとPK集団を指差し、あの時と同じように高らかに宣言した。
「この悪徳PK集団! 天と運営チームがその悪行を見逃そうとも、この『怒涛の鷹』ファルコンの目は誤魔化せん! GMに代わって私が天誅を下してやろう!」
 剣を抜き放つファルコンを、PK集団は馬鹿を見る目で眺めていた。そしてひそひそと相談を始める。大方この馬鹿をどうするか話し合ってるんだろうな、とロウは思った。彼も同じことを考えていたのである。
「いざ、尋常に勝負! でぁぁぁ!」
 散々格好いいこと言っておきながら、ファルコンは相手が身構える前に斬りかかった。狙いは彼から見て一番手前にいた召喚術師。基本的に防御力に難がある魔法使いや召喚術師といった職は、剣士系の一撃を喰らえばそれだけで瀕死のダメージとなる。しかし、その召喚術師はよけようともしない。そしてそのまま、ファルコンの斬撃が――
「ぬっ!」
 まるでゴムの塊でもぶっ叩いたかのように、弾かれた。困惑するファルコンの様に、PK集団はただ爆笑をもって返した。
「馬鹿じゃねぇの? フィールドも張らずに、こんな街中でPKが出来るかっての!」
「だが、貴様らはフィールドを張らずに……!」
「あれは俺たちだから出来たの。あんた見たいなド低能には無理だって!」
「くぅっ……!」
 悔しさを噛み締めるファルコン。それを見てさらに笑いを投げかけるPKたち。
 その様子を見て、ロウの体は自然と動いていた。
(このまま見てても、面白そうだったけどなぁ……)
 そう思ったりしたのは内緒。
「なぁ、君たち」
「あん?」
「ぬっ、貴様は!」
 PK集団とファルコンの目が一斉にロウのほうへと向けられる。
「何の用だよ」
「いやね、僕の知り合いが、君たちの不正の被害にあったんだ」
 あっさりと、微笑を浮かべたままロウは言い放った。
「で、そいつが泣いちゃってさ。もう不正をするなとは言わないよ。それはGMの仕事だしね。ただ、あいつから奪ったアイテムだけは返してもらえないかな」
 ロウの口上に、PK集団は皆、一瞬ぽかんとした表情になった。
 少し間をおいて、それは爆発する。
「ぶはははは! ナニ言ってんの、こいつ!」
「アホだ、正真正銘のアホだよ!」
「そんなの、やられる方が悪いっての!」
「ふーん……」
 ロウは、隠された目を細めた。だが、その様子はPK集団には見えていない。見えていれば、多少なりとも恐怖を感じることが出来ただろうに。
 そしてもう一人、自己主張してやまない人がいた。
「おい、ロウ・フライハイト! 丁度いい。ここであったが百年目、俺と勝負だ!」
「…………」
 もっと馬鹿な奴がここにいた、とロウは嘆息した。
(まずはこっちを処理しないとダメかなぁ……共同戦線なんてはれそうにないし)
「どうした、かかってこい!」
「あー、勝負するのは別にかまわないけどさ。まずは、こいつら片付けてからでいいか?」
「む……そうだった。俺はこいつらに返さねばならぬ借りがある。貴様を叩きのめすのはその後だ!」
「はいはい、どうも」
 といって、ロウはとあるアイテムを使った。途端に、ロウとPKたちの周囲が薄幕に覆われる。簡易PVPフィールド。舞台は整った。
「おい、ちょっと待て! 何故俺は外なのだ!」
「あー……だって、邪魔だし」
「邪魔とはなんだ邪魔とは! 人のことを馬鹿にするのも大概にしろ!」
「いや、馬鹿にはしてない。邪魔者扱いしてるだけで」
「大して変わらん!」
 薄幕越しに漫才する二人に、例の腕輪をした魔術師が怒った。まぁ、これはきわめて普通の反応だろうが。
「てめぇら、二人そろって俺たちのこと馬鹿にしてやがんのか?」
「いや、馬鹿はあいつだけだから」
「この……! ロウ・フライハイト! 後で覚えていろ!」
「はいはい、で、PKさん。これで満足でしょう?」
 ロウはあくまで微笑を浮かべたまま、PK集団に問いかける。
 路地裏だけあって、人が来るような気配はない。そのため、PVPといってもロウがこの前見たようなお祭り騒ぎになるようなことはなかった。
(まぁ、目立っちゃ困るけど)
「へへ、こいつ、一人で俺たちとやろうっての?」
「仮にお前が最高レベルだとしても、五対一で勝てると思ってんのかね?」
 このゲームの仕様として、自分以外のキャラクターのレベルは知ることが出来なくなっている。雰囲気や装備などから推し量るくらいしか出来ない。
「まぁ、やってみないと分からないよ。で、最後にもう一度聞くけど、今のうちに悔い改める気はない?」
「ない……ね!」
 その言葉と同時に、魔術師の手から火球が放たれる。精霊の力を使役して放つ西洋魔法の基礎中の基礎、ファイヤーボールである。無論そんなものは牽制に過ぎず、それをひらりとかわしたロウに、魔力を込められた剣が振り下ろされる。
 と、ロウの姿がその場から消える。
「へぇ、実は結構強かったんだね」
 彼の姿は、召喚術師の後ろにあった。
「モンスターを呼んだのは君の仕事か。さすがに召喚されると厄介だからね」
「ま、待て……!」
「嫌。面倒くさい」
「ぐ……分かった、ここで見逃してくれればお前のデータも弄ってやる! ステータスとか自由自在だ! ハッキングとデータ改ざんは俺の仕事なんだ。だから、な!」
「無理。光の槍(ホーリーランス)=v
 断末魔の悲鳴を上げることすら出来ず、召喚術師の男は虚空より現れた光り輝く槍に貫かれ、戦闘不能となった。
「く、くそっ!」
 そのモンスター召喚は彼らにとってかなりの戦力だったのだろう。それを失い明らかな焦りを見せた剣士二人が、一直線にロウへと突っ込んでくる。
 それに対し、ロウは魔力を集中させる。
「大地の壁(グランドウォール)=I」
 集められた魔力によって淡く光る右掌を、ロウは思い切り地面に叩きつけた。その魔力は地面を伝い……
「うおっ!?」
 高々と、剣士たちの周囲の地面を隆起させた。四方を高い壁に囲まれた彼らは、その効果が切れるまで身動きが取れない。これで魔法使いが恐れる強力な物理攻撃はほぼ無効化。
「さて、あと二人……」
「爆砕陣・参式=I」
 と、その壁の向こうから魔力の奔流が来るのをロウは感じた。しかし、それだけで微動だにしない。避ける必要すらもないかのように。
 ロウにぶつかると同時に、魔力が轟音を伴いながら爆発する。己の魔力のみを収束して放つ東洋魔法でも、最強クラスの威力を誇る呪文だ。まともに喰らえば、体力自慢の剣士であっても瀕死のダメージを追う。いわんや、貧弱な魔術師ならば。
 しかし、途切れた爆風の中から現れたのは無傷のロウだった。少々ほこりがついた黒衣を念入りにはたいている。
「この壁、邪魔だな……」
 自分で作っておいて何を言うか。そんなツッコミをものともせず、ロウはそそり立つ巨大な壁を魔法で破壊する。もちろん中から二人の剣士が出てきた。
 二人は一度後方に下がり、聖職者の治癒魔法により体力を回復させる。陣形を組みなおし、再び攻撃を仕掛けるつもりなのだろう。
「やめておきなよ。ここでやめてアイテム返してくれれば、そこの彼みたいにデスペナルティもらうことはないからさ」
「うるせぇ! お前みたいなムカつくヤロー、ぜってーぶっ殺す!」
「やれやれ、安っぽい悪役みたいになっちゃって……」
 聖職者の支援魔法を受けた剣士が構え、魔術師が大魔法の詠唱を始める。なるほど、二人を巻き込んででも僕をやる気だな、とロウは予測した。
 二人の剣士が飛び掛ってくる。直接押さえに来るか、スタン攻撃か。とにかく、一瞬でも動きを止められたならばさすがのロウも危ない。
「じゃあ、その前にやらせてもらおうか」
 ロウが詠唱を始める。早い。唱えられる呪文によってロウの魔力が周囲に漂い、集中していく。最終的に、魔力は彼の右の掌に集まった。この間、一秒もたっていない。
「僕は出来るだけの説得はしたつもりだから。悪いのはそっちってことで」
 最後の最後までそんな口を叩きながら、ロウは光を放つ掌を相手集団へと向けた。
「自由律法=v
 ロウの掌から放たれたまばゆい光の奔流は、剣士を飲み込み、魔術師も聖職者も飲み込んだ。その魔力が引き起こす風で翻った彼のマントの内側には、黄金に輝く翼のエンブレム。その光の中で、PKたちのHPがゼロとなった。それだけでなく、装備品は消し飛び、レベルやステータスに関するデータすらも一部が破壊されのだが、彼らがそれに気付くのはもう少し後のことである。
「まったく、困ったもんだよ」
 ロウの冷たい言葉と同時に、周囲を覆っていた薄幕が消えた。空を見上げたロウは、それが作り物とはいえ、やっぱり青空がきれいだなと思う。
「ロウ・フライハイト」
「ん?」
 振り返るとそこには、神妙な面持ちで立つファルコンがいた。
「あー、やっぱり勝負とかするのか?」
「いや、今は遠慮しておこう。『盲目の熾天使』に喧嘩を売るのは時期尚早だ」
「…………」
「東洋最強の魔術師ギルド『自由の律法』、そのギルドマスターである『盲目の熾天使』か。噂には聞いていたが……実在したのだな」
 ロウは、この事実を隠し続けていた。
 このギルドとマスターは、その強さゆえに一時期、誰もが尊敬しつつも、畏怖する存在となっていた。とある事件をきっかけにその活動はぷっつりと途切れ、いつしかそれは半ば伝説としてただの噂話になっていたのだが……
「やっぱり、ばれるといろいろと動きにくいから。知ってるとは思うけど、僕の持つGM権限目当てに近付いてくる輩もやっぱりいるわけだし。だからさ、このことは黙っていてくれると嬉しい」
「ふむ……まぁいい。悪人ではなさそうだしな」
 真面目な雰囲気になったかと思いきや、だが! といきなりファルコンはいつものテンションを取り戻した。
「しずくさんは渡さん! 必ずや、彼女を我が妻に迎え入れてみせる!」
「……まぁ、頑張って」
 と、高らかに宣戦布告するファルコンに、ロウは適当な言葉を投げるしか出来なかった。このテンションにはついていけないな、とロウは苦笑する。まぁ、こいつも悪いやつではなさそうだしな。
 ふとここで、ロウは一つ疑問に思った。
「ところでお前、どうして連中を追ってたんだ? 装備だって一ランク下になってるし……」
「いや、俺も連中に襲われたのだ。ウリヅラの森でな」
「へぇ……」
「しずくさんをこっそり追いかけていたら、後ろからいきなりだ。反撃する暇もなくやられ、この鉢巻以外は全て持っていかれた」
「こっそり追いかけてって、それストーカーじゃ……」
「細かいことは気にするな。ところでロウよ。お前、連中の持っていたアイテムやら装備品はどうした。PVPに勝ったのなら奪い取れるはずだろう」
「あ……」
「剣士の片割れが俺の剣を使っていたのだ。ただでくれとは言わん。少々の礼ははずむつもりだが……ん、どうしたロウ? 顔が青いぞ」
 ロウは非常に嫌な感じの汗をだらだらと流していた。


 もう、このゲームやめようかな……
 道具屋の前に俯き座りながら、しずくは思った。
 由法のことが心配で追いかけてきてみたはいいものの、ここでの由法は現実からは想像できないほどしっかりしていて、しかも優しくて。自分はいつも迷惑をかけてばかりだ。
 今回のことだって、本当は自分で解決すべき問題なのだろう。でも結局、何も出来ずにいる。
 便りの由法もどこかへ行ってしまった。さすがの由法も、自分を見限ったのだろう。
 そう考えるとやけに寂しくて、彼の力になろうと必死になっていた自分が馬鹿らしく思えてきた。
 次にあったら、もう一度由法に謝って。それで、もうやめるって言おう。
 そう彼女が心に決めたときだった。


「ただいま」
 いつもの道具屋の前へと戻ったロウは、そこでぼーっと座り込んでいたしずくに声を掛けた。彼女のその様はかなり危ない人に見える。
「……由法?」
 瞳を向けるしずく。ゲームであるため目が真っ赤だったり、頬に涙の跡が残っているなんてことはないが、やっぱり泣いてたんだろうなぁと由法は思う。
 ロウは担いでいた大きな袋を地面に下ろした。その際「どっこらしょ」なんて実に親父くさい台詞を吐いてしまったのはちょっとした失敗だったが。
「はいこれ。盗られたアイテムやら装備品やら。一応、中身確かめておいて」
「えっ……?」
 しずくの瞳が驚きに見開かれる。言われたとおり、彼女はその袋を紐解いた。中には彼の言葉通り、二度と返ってこないと思っていたものたちが。
 しずくの瞳が、再び潤んだ。
「……う〜」
「あー、どうして泣くかな……とりあえず、使ってよ」
 ロウから手渡された白い外套を手に取り、しずくは黙って頷いた。
 そしてそのままそれを羽織って、はにかむような笑みを浮かべる。それを見て、ロウも満足気に微笑んだ。
 装備を整えていくうちに、しずくも段々といつもの調子に戻っていったようだった。やっぱりこれがないとねー、とか、うんうん、落ち着くねーなど、軽い調子で言葉を放つ。
「ねぇ、由法。このアイテムさ、なんかやけに新しくなってない?」
 その指摘に、ロウはぎくっ、という擬音が聞こえてきそうなほどに肩をすくめた。
 そして非常にぎこちない笑みを浮かべながら言う。
「さぁ、きっと気のせい、気のせいだよ。気のせいに違いない、うん。人の記憶なんてあてにならないから、気のせいってことにしておいたほうが身のためだって」
「……まぁ、そこまで言うなら気のせいってことにしておいてあげるけど」
 ロウは胸をなでおろした。
PKたちに放った大魔法自由律法=Bそれで連中のもっていたアイテム全部をデータごと吹っ飛ばしたなんで言えない。
 言えるはずがなかった。
 また、全く同じ装備を揃えるために、ロウがその貯金の半分を失ったのは余談である。










  
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