PHANTASY


 昨日ログインした時と同じ場所に、ロウ・フライハイトは立っていた。
 周囲に目をやる。もしかしたら、と思っていたのだが。やはりしずくの姿はなかった。
 同じクラスで、互いに部活動に所属しているわけでもなく、尚且つ家も近所。となれば帰宅時間もほぼ同じになるはずで、本屋に寄り道をしていた自分よりも彼女は早く帰宅しているはずだ。あそこまでこのゲームに熱中している雫のことだ、帰るなりログインすることだろう。誘い込んでしまった由法としては、少々罪悪感を覚えることではあるのだが。
 おそらく一人でダンジョンにでも行ったのだろう。そろそろ彼女も慣れてきたころだし、レベルもそれなりに上がっている。おかしいことではない。
 そう思ったロウが、自分もレベル上げに向かおうと、転移の魔法を唱えようとしたときだった。
「由法ー!」
 誰かの叫び声が聞こえた。いや、声の主が誰であるか、ロウには分かりきっていた。
 この世界で自分をこの名前で呼ぶ人間は一人しかいない。
 ただ一つ気になったのは、彼女が昨日とは異なり通常会話で自分に呼びかけてきたことだ。しかもその声は、だいぶ切羽詰っているように感じられる。
 どうしたものかと、由法は声のしたほうへと振り向いた。
 それとほぼ時を同じくして、人ごみの中からしずくが飛び出してくる。
 どうしたんだ、とロウが口を開く前に、彼女は猛ダッシュで接近、ロウを盾にするようにして隠れてしまった。
「……どうした、いきなり」
「今は黙って隠れさせて。すぐに分かるから」
 なんのこっちゃ、と思いつつも、しずくの只ならぬ声色と雰囲気を感じ取ったロウは、とりあえず現状を維持することを選択した。
 と、程なくして。
「しずくさぁぁぁぁぁぁぁん!!」
「来た……」
 その名を良く響く声で叫びながら、しずくが出てきたのとまったく同じ位置から、一人の男が現れた。
 鋼鉄製の鎧に、真紅のマント。短い赤毛に下にこれまた真っ赤な鉢巻を締め、腰には片手剣が提げられている。年齢的にはロウと大して変わらないであろうが、雰囲気は彼と正反対、実に暑苦しそうな男であった。
 男は目ざとく、ロウの後ろのしずくを発見すると、ロウの一メートルほど前まで歩み寄った。だが、あくまでその視線は完全にロウの後ろのしずくに固定されている。ロウなど完全に電柱扱いであった。
 そして立ち止まり、口を開いたかと思うと。
「しずくさん、私と結婚してください!」
 声高らかに、人目をはばかることなく、告白した。
 ロウは全身の力が抜けるのを感じた。
 このゲームのシステムの一つに、結婚というものは確かに存在する。現実世界と同じく、男女が永久の愛を誓い合い、それを公認するというものである。実際にこのシステムは人気があり、数多くのカップルが利用していた。もちろん、その逆である離婚というものも存在するのだが。夫婦といっても大抵がネット上での付き合い、顔も知らぬ相手なのだから当然である。
 だからといって、こんな風に結婚を申し込む輩を、プレイ歴が長いロウでさえも見たことがなかった。はっきり言ってアホである。それ以外の何者でもない。
 しかも、よくよく考えれば男としずくでは十歳以上年齢が離れているではないか。リアルでの年齢は分からないが、ゲーム上の年齢で考えれば明らかなロリコンである。
 アホでロリコン。手遅れだな、とロウは心の中で合掌した。
「で、説明してもらおうか」
「な、何を?」
「どうしてこうなったのか。なるべく分かりやすく」
「説明するほどでもないよ。街中歩いてたらいきなり声掛けられて、何事かと思ったらいきなり結婚してくれだもん。もちろん断ったけど、しつこく言い寄ってくるから走って逃げ出して。それで今に至る。今日ほど転移の魔法が欲しいと思ったことはなかったよ」
「……なるほど。実に分かりやすい」
 再びロウは、目の前の男を見た。彼の目は真剣そのものである。別に彼女をからかっているわけではなさそうだった。
「しずくさん!」
「だから、だめなものはだめだって言ってるでしょ!」
「私の愛は本物です! 貴女の所為で私の心は今にも燃え尽きてしまいそうだ!」
 よくもまぁこんな台詞を人前で吐けるものである。
 確かに、このようなオンラインゲームの世界では現実世界ではできないようなことをやらかしたり、また、現実とは違う人間を演じることはしばしばある。由法も、この世界ではロウ・フライハイトという人物を演じているに過ぎない。
 しかしまぁ、それにも限度ってものがあるだろ。由法は引きつった笑みを浮かべながら思う。
 と、男はそこでやっと、自分と愛しの彼女の間に立つ障害物――ロウが、PC(プレイヤーキャラ)であることに気がついた。
「む。貴様、何奴。速やかにそこを退き、しずくさんを渡したまえ」
「ちょっと由法、どうにかしてよ!」
「あー、いや……」
 どうにかしろといわれても、どうにもできない。かといって男の要求に素直に従うというのも、どこか癪に障る。
 と、ここで、しずくが何かあくどいことを思いついたような邪な笑みを浮かべた。そして残念なことに、死角であったためにロウはそれに気付けない。
 彼女はロウの横に回り彼の腕を取ると、こう宣言した。
「私、この人と結婚しますから」
『な……!』
 驚きの声が重なる。
「何を馬鹿なこと……」
「いいから、この場をやり過ごすための嘘だって!」
 しかしまぁ、こんなドラマとか漫画みたいな状況。実際に自分が現実世界でないとはいえ体験することになるとは。ロウは嘆息した。仕方がない、この場はこいつに協力してやろう。
「しずくさん、それは本当なのですか……?」
「ホントのホント、本気と書いてマジ、魔法使いと書いてマジシャンです」
 打ちひしがれる男に追撃を掛ける一言。傍目から見てもかわいそうになるくらい、男はへこんでいた。実際にロウも同情の念を隠しきれなかった。
 無言の膠着状態。
 あたりには人だかりができている。こんな茶番劇が行われれば当たり前だ。他人の愛想劇は蜜より甘い。これ以上の喜劇があるだろうか。人々の視線は全て好奇に満ちている。完全に巻き込まれただけの存在であるロウにとっては、それはただ痛いだけのものだった。
「……いいだろう」
 KO寸前だった男が一転、顔を上げた。そこには何かを悟ったような、決意の表情が貼り付けられている。
「そこの男! しずくさんをかけて俺と勝負しろ! 我が名はファルコン、『怒涛の鷹』なり!」
「はぁ?」
 声高らかに宣戦布告する男――ファルコンに、ロウは珍しい生き物を見るような視線を向けた。
 ちなみにファルコンが名乗ったことに意味はまったくない。これがゲームである以上、PCの名前は常に公開され続けている。この台詞によってロウが彼を本物の馬鹿と決め付けたのはまた余談。
 しかし、彼の口上が如何に阿呆であろうと馬鹿であろうと頓珍漢であろうと出来損ないのごじゃっぺであろうとも、野次馬たちにとっては面白ければすべて良し。周囲は一気に盛り上がった。
 そして、一番冷え切っているのはもちろん当事者たるロウだったりする。
「……くだらない」
 ロウはそう一言、ポツリともらした。残念ながらそれは、周囲に届くことはなかったが。
 そしてそのまま、彼は転移の魔法を編み始める。
「しずく、僕はいつもの狩場に行くから。後はまぁがんばって」
「え? ちょっと!」
「じゃ、また明日。どうしようもなくなったら、ログアウトすればいい」
 後ろに隠れる魔法使いに秘匿会話でそう告げて、彼はその場から退場した。そして主役の突然の消失に、舞台は騒然となる。
 一番可哀想なのは敵前逃亡された(と思っている)ファルコンでも折角の娯楽を奪われた群衆でもなく、唯一の味方に逃げられてしまったしずくだったりするのだが。
 状況が飲み込めず、ファルコンが口をあけてぽかんとしている間に彼女はこっそり逃げ出そうとした。しかし、ファルコンの立ち直りもまた早い。
「しずくさん、どこへ行かれるのですか!」
「ひぃー!」
 彼女は、半分泣きながら駆け出した。
 由法の奴、明日覚えてなさいよ……!





  
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