PHANTASY

 次の瞬間に彼――ロウ・フライハイトが立っていたのは、ユグドラシル大陸の東方に位置する列島、その中の学術都市・バイツークの道具屋の前であった。
 赤茶けた髪を目にかかるかかからないか程度まで伸ばし、体にはゆったりとした、それでいて重厚な雰囲気を放つ漆黒のローブを羽織っている。長身痩躯で、見た目二十代前半といったところだろうか。その目があるべき部分には黒い布が鉢巻のように覆っており、視線や目つきを探ることはできなくなっていた。とはいっても、これはあくまで見た目だけの話であって、プレイヤー、すなわち板垣由法には何の不自由もない。ごくごく普通の視界が広がっている。
(昨日はあいつと狩りに行って、というかあいつのレベル上げを手伝って、精算した後に落ちたんだっけかな……)
 彼の職業は魔法使いである。もちろんこのゲームの中での話だ。
 それなりにゲーム歴が長い由法、もといロウはかなりの高レベルキャラである。装備品も最高級に近いものを使い、銀行に預けてある貯金もゆうに数百万を超える。
(さて、今日はどうしようかな。久しぶりに東北のほうでも行ってみるか……)
 彼が外套を翻し、各町への転送NPCがいる広場へと向かおうとしたときだった。
「おーい、由法ー!」
 彼の名――しかもリアルのほうを――呼ぶ声が、雑踏の騒音の中でもはっきりと彼の耳に響いた。一対一の秘匿会話機能を使ったのだろう、とロウは予測した。
(馬鹿、あれほどリアルの名前は使うなって言ったのに)
 まぁ、それも仕方ないかとロウはため息を吐いた。何せ相手はオンライン初心者なのだ。あまりとやかくと言ったところで、本人が慣れてくれるまではどうしようもないことは分かりきっている。
 人ごみを掻き分け、息を切らしてロウの前に現れたのは、彼と同じ魔法使いの少女であった。
 プレイヤー名は『しずく』。艶やかな黒髪を俗に言うポニーテールという形に纏め上げ、左胸の部分に大きな翼のエンブレムが刺繍された、彼とは正反対の白い外套を羽織っている。ロウよりも見た目若く、十六、七といった彼女には、この方が似合っていた。快活そうな瞳からは疲労してもなお好戦的な光が漏れている。こういう性格の奴に魔法使い(後衛職)は合わないんだけどな、とは由法の談。
「ねぇ、今暇でしょ?」
 この質問の場合、ほとんど疑問符の意味はない。暇でしょ? を暇だろ。に置き換えてもまったく意味は同じなのだということをロウは知っていた。
「暇……といえば暇だけど」
「じゃあ決定。今日は私に付き合ってよね」
 今日は、じゃなくて今日も、だろ。とロウは心の中で非難した。昨日は彼女のレベル上げのためだけにプレイ時間のほとんどを費やされてしまったのだ。一昨日も、その前もだった。
 確かに、ギルドマスターとしては自分のギルドに加入した新人の世話をするのは当然だろう。それが――結果的にだが――自分の引き込んだ人間であれば尚更だ。が、かといって一人にずっとかまっていられるわけでもない。
 ロウは昨日もその旨を説明しようと試みた。しかし、結局この様である。
(こういう運命なのかもなぁ……)
 意気揚々と歩く少女の背中を眺めながら、ロウは先ほどよりもずっと重い、鉛のようなため息を吐き出した。





  
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