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終章




 最近、夢見が良い。以前は何かと嫌な夢を見ることが多かった。それも仕方がないといえば仕方がない。私はそれだけのことをしていたのだから。
 無論、今でもそれがなくなったわけではない。ただ、回数はだいぶ減った。
 あたたかい布団から身を出す。先月買ったベッドは、彼らが勧めていた通り、素晴らしい寝心地だった。
 居間へ向かい、窓にかかったカーテンを開ける。ガラス越しに差し込む太陽の光は、眩しさと同時にあたたかさを感じさせた。そして、空は青く澄み渡っている。典型的な冬の青空と言うべきだろう。
 いつもより気持ち分だけ軽く思える体を動かし、普段どおりの身支度を始める。一度部屋に戻って、それなりに着慣れた制服に袖を通し、鞄の中身を確認する。問題はない。台所へ移動して、いつも通りの朝食と弁当を準備する。
 まずは弁当の準備。今までは必要最低限の料理しかしてこなかったが、飛鳥から勧められて始めてみると、それなりに面白いものだった。……などと考えているうちに、自然と手は動いていた。メニューはそのとき思いついたもの。今日は豆腐の豚肉巻き甘辛焼きがメインだ。
 豆腐を素手で切る。こういうとき、私の能力は便利だ。包丁やナイフなどの刃物が要らない。
 切った豆腐を薄切りの豚肉で巻き、調味料を加えてフライパンで焼く。その間に、ボールで卵を混ぜよう。卵焼きも作らなければ。
 これは、料理を始めたとき、最初に飛鳥から習ったもの。それからしばらくは、これだけを完璧に作れるよう練習していた。だから、卵焼きだけは目をつむっても作れる。数少ない、私の自慢だ。
 そうやって無心に料理を続け、気が付けば今日の昼食は完成していた。あとは盛り付けて、包むだけ。
 時間的にも全く問題ない。彼は今頃起きて身支度を始めただろう。だから、私が今から朝食を食べ始めれば、丁度いい時間に部屋を出ることが出来る。
 六枚切りの食パンを一枚取り出し、トーストにする。その間に目玉焼きを作り、コーヒーを入れる。彼はブラックが好きなようだったが、私はミルクと砂糖を加えたほうがおいしいと思う。それはともかくとして、やはりこのメニューは時間との相性がいい。
「ごちそうさま」
 手を合わせる。これだけは、昔からずっと抜けない癖だった。
 ……そろそろ、時間。
 私は部屋を出た。


 教室に入ると、いつもの二人の姿があった。
「おう、月愛ちゃん。はよーっす」
「あ……おはよう。月愛ちゃん」
「おはよう」
 八坂眞吾と甲江飛鳥――この二人も、全くと言っていいほど変わっていない。
 そして今では、私の大切な友人でもある。彼らがいなければ、今の私はないだろう。
 なにぶん、彼の力だけでは力不足だったから。
「あ、月愛ちゃん、その……」
「何?」
 飛鳥がいつも通り、おどおどした表情で話しかけてくる。最初は私が怖がられているのではないかと思ったが、後に、これが彼女の通常なのだと知った。
 一応友人という間柄なのだから、もう少し肩の力を抜いてもいいと思う。
 ――私が言える立場ではないが。
「きょ、今日のお弁当、ちゃんと作ってきた……よね?」
「心配しないで。忘れずに全員分、用意してきたから」
「マジかよ? よっしゃ、今日も美味い昼飯確保!」
 八坂は大げさに拳を振りかざした。そこまで喜ぶことなのだろうか……?
 見れば、飛鳥もほっとしたような笑みを浮かべている。もう少し、私を信用してくれてもいいと思うのだが。
 そもそも、この弁当の当番制を提案したのは私だ。飛鳥と私で、一日交代。飛鳥はどうも他人に自分の料理を食べてもらえること自体が嬉しいらしく、私は単純に料理の技術向上に繋がる。ただ食べるだけの奴もいるが。
 ――私は、私の生き方を見つけないといけない。だから、できることは全てやる。それぐらいしないと、今までの私から抜け出すことは出来ないだろう。
「で、月愛ちゃん。今まであえて触れなかったんだが……」
「どうしたの?」
 あえて触れなかった……ということは、何か言いづらいことなのだろうか。それにしては、八坂の顔は軽薄に見えるのだが。
「巽の奴はどうしたんだ?」


 いつも通り、授業が始まった。
 教壇の上に立つ若い教師は、まだまだ学生初心者の私ですら分かるくらい緊張した面持ちで微分係数について語っていた。突然粕谷の代わりに授業をすることになったのだ、慣れていないのはどうしようもないだろう。
 若い教師がチョークを折った。これで何本目だろうか。くすくすという笑い声が、私の耳に入った。当然それは教師の耳にも届いているだろう。耳を真っ赤に染めて、予備の白墨を取り出している。
 そんなちょっとした茶番も、いつの間にか慣れてしまっている自分がいた。窓ガラスに映る私の顔。見慣れているはずのそれはしかし、見慣れぬ人のものになりつつある。
 天気は相変わらずいい。澄んだ空はどこまでも遠く、それを邪魔するものは一つもない。
 皆は天気が良いと気分も良くなると言う。私も最近、やっとその感情を理解できるようになってきた。
 と、その時だった。
 盛大な音とともに、教室の扉が開かれた。

◆◆◆


 思いっきり、遅刻した。
 おかしい。いつも通り起きて、いつも通りに準備したはずなのに。
 気が付けば通学路を全力疾走していた。開店準備をする商店街の方々の視線が痛いのなんの。気を抜けば声まで聞こえちゃうし。そのおかげで、運動したのとはまた別の意味で頬を染めることになった。
 これが一時間を超える遅刻なら良い。諦めてのんびり歩くことが出来る。
 けれど、間に合うか間に合わないかギリギリってのが悪い。急げば間に合うんじゃないかなんて愚かな考えに至ってしまう。
 けれども、そういう時こそ間に合わないのが世の常。それはただ体力を無駄に消費するだけに終わってしまう上に……
「あー……君、とりあえず席について」
「……すみません」
 教室中からの視線を全身に浴び、さらには先生の心象も悪くしてしまう。まさにふんだりけったりだ。ちくしょう。
 見れば、眞吾の奴なんて指差して笑ってやがる。あ、甲江さんまで口押さえてるし。
 あー、でも。
 月愛の冷たい視線が、一番きつかった。


 僕が大恥をかいた以外、何事もなく放課後を迎えた。そりゃ、遅刻した上に宿題忘れたとか、月愛の作った弁当は今日も美味かったとか、体育のときはやっぱりまだ傷が痛むなーとか、そういう細かいことは数え切れないほどあったけれど。
 でも、そんな細かい出来事の積み重ねが、「何事もない」日常でもあるのだ。
 こうやって、四人で歩く帰り道。
 時刻はまだ午後五時だというのに、すでに日は沈み、空は暗く染まっている。
 冬の澄んだ空気は、夜空を星々の輝きで満たしていた。
「……でね、お肉を焼くときに一番大事なのはやっぱり火力で……」
「でも、安物のコンロではやっぱり火力調節は――」
 月愛と甲江さんは、かなりコアな世界について話をしていた。そりゃ、僕だって料理の一つや二つはするけどさ。そこまで出来にこだわるわけじゃないし。
 それより、二人が――いや、正確には月愛が、こんなふうに甲江さんと話をするようになるとは思わなかった。失礼な話だけど。
 相手がシルフィだったら分かる。けど、話し相手はあくまで甲江飛鳥なのだ。別に悪いことじゃないし、どちらかと言うと嬉しいことだけど、まぁ、その、なんというか。僕を置いてきぼりにするのはちょっと寂しいかなーなんて思ったりもしたりしなかったり。
「巽、どうした? なんか言いたげな顔してよ……ははーん」
「な、なんだよ。気持ち悪いな」
「お前、月愛ちゃんを飛鳥ちゃんに取られて妬いてんだろ」
「ち、ちがっ――!」
 こいつ、やっぱりエスパーかなんかじゃないのか? 冗談が冗談じゃないっての。
「え、何?」
「あー、巽の奴がな――」
「何でもない、断じて何でもないから! 気にせず続けて!」
 甲江さんも、相変わらずご丁寧に反応してくれちゃうし。ホント、疲れる。ああ、月愛はなんか微妙に顔赤いし。しっかり聞こえちゃったのか。
 でも、悪くない。
 硝子のレンズ越しでない、こここそが、僕たちが本当にいるべき場所なのだ。
 ――あの後、僕たちがやったことの証拠は、全てがきれいさっぱり消えていた。
 荒らされた教室は翌日にはもう何事もなかったかのような姿を取り戻していたみたいだし、廊下に垂れていた血痕も綺麗さっぱり消えていて――そして、粕谷先生の亡骸も、姿を消していたらしい。
 その後、一般生徒に向けて、粕谷先生は突如退職したと、そう事実が伝えられた。
 誰がそんなことをしたのか――正直、特別な興味はなかった。
 ただ、感謝はしたいと思う。僕たちの手の中にある平穏。それを手に入れる手伝いをしてくれたことになるのだから。
 けれどあれ以来、白黒の少女とは会っていない。
「おーい、巽! どうした、置いてくぞ!」
 いけない。無駄な考え事のせいで、三人の姿はかなり小さくなっている。てか眞吾の奴、絶対僕を殴ったこととか忘れてるよな、もう。結局一週間くらい一触即発状態だったけど、週が明けたらあっさりいつも通りに戻ったもんな。まぁ、それが八坂眞吾って男の強みだ。あいつは、僕にない単純な強さを持ってる。ちょっと羨ましい。
「や、柳くーん!」
 甲江さんまで一緒になって叫んでくれちゃって。まぁ、前みたいに話振ってもいきなり赤面してそれで終わり……ってのよりはずっとましか。そう考えると、甲江さんもだいぶ強くなったよな。彼女は、なんというか、素直だから。シルフィが必死になった理由がよく分かる。月愛がいなければ、ホントに僕は甲江さんに惚れていたかもしれない……なんてこと冗談でも口に出したら、本気で殺されるだろうな。月愛と眞吾とシルフィに。さすがに三対一じゃ勝ち目ないな。
「…………柳、早く来て」
 そんな小さな声じゃ、僕以外聞こえないって。そんなツッコミを心の中でしてみる。
 一番変わったのは、恐らく彼女だろう。
 彼女はあの後、組織とやらから抜けたらしい。物心ついたころから置かれていた環境から抜け出すというのはかなり辛そうなものだけど、意外と彼女はあっさりとそれを決めていた。少なくとも、僕の前では。もしかすると、裏ではものすごい葛藤とか色々があったのかもしれない。そもそも、そう簡単に抜けられる集団とも思えないし……
 けれど、そういう細かいことを抜きにして、その決断は正しかったと思う。月愛は月愛なりにこの生活を楽しもうとして、実際に結構楽しんでいるようだし……なによりも、僕が、彼女のそばにいられる。
 今度は何があろうとも、彼女の隣に居よう。またあの日みたいな思いは御免だ。
 ――冬の空気は、肌を刺激する。ちくちく、ちくちくと。けれど、他の季節にはない、澄んだ匂いがした。それは、僕だからこそ分かるもの。
 太陽が沈んだ後も、街はまだ明るい。街頭のおかげ? いや、違う。
 空を見上げる。
 素のままの目で見た空には、たくさんの星が輝いていた。
 そして、その中でもひときわ大きく、丸く輝く衛星。
 月の明かりを浴びながら、僕は皆のもとへ駆けた。


FIN






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