研究室の扉を開けると、そこでは柴田が暇そうにアルコールを摂取していた。
「お、やっと帰ってきたか」
 顔が赤い。僕は閉廷後、また少し弁護士と話をしていた。そのため帰ってくるのはただの傍聴人よりずっと遅い。こいつ、終わってから僕が来るまでずっと飲んでいたな。アルコール禁止の張り紙、さっさと作っておけばよかった。ミックに頼めば一瞬なんだし――
 自分で思って、自分で絶望した。
 ミックは、もういない。彼は今頃飛行機の中だ。しかもファーストクラス。
「落ち込んできたみてーだな。そんなお前にプレゼント」
 なんだよ、プレゼントって。実に怪しい。柴田が他人に物を与えるなどまず考えられない。あるとすれば恐怖の新作おつまみ試食とか、極限まで酒に酔ったときくらいなものだろう。
 そんな柴田が白衣の胸ポケットから取り出したのは――
 ちんけな、マッチ箱大の金属の箱だった。
 そして僕は、その箱にこれでもかというほど見覚えがある。
 大急ぎでケーブル類を接続する。電源、視覚カメラ、スピーカー。これで、いつもの状態に戻ったはずだけど……

『……お久しぶりです。博士』

 まるでただ数年あっていなかっただけの友人に挨拶するが如き優しい口調。
「ああ、久しぶり。元気だった?」
『システムに異常は見られません。健康≠サのものです』
「そうか、良かった」
 それだけ聞いて、ほっと胸をなでおろす。そして落ち着いたところで、本日最大の疑問。
「ところでお前、USTIに買い取られたんじゃなかったのか? まさか、逃げ出したりなんて……」
『ええ、確かにMICは一機、USTIに買い取られました。そして今、飛行機で太平洋上を飛んでいるはずです』
「なら、どうして……」
『簡単なことです。売られたのは誰も私だとは言っていない。つまり、MIC type-001Pはここにいる。しかし、売られたのは確かに私――MICなのです』
 余計わけが分からない。頭がこんがらがってきた。
『売られていったのは――MIC type-002P、つまり、私のコピーです』
「……え?」
『国技研のコンピュータとこの大学のコンピュータにアクセスして、こっそり複製を作り上げておきました。その後、柴田氏に協力していただき筐体の中身を私のコピーと入れ替え、裁判所にはそのコピーのほうを送りました。そして私は、柴田氏の胸ポケットから博士の敢闘を眺めていたというわけです』
 ネタは、余りにも古典的だった。だが、それでもまだ一つ疑問が残る。
「お前の趣味の悪さは分かってる。だからあえて何も言わないけど……お前、自分の完璧なコピーを作りあげたのか? そんなの不可能だ――」
『ええ、確かにあのコピーは私と完全に一致するわけはありません。しかし、一般人にとってのミックは彼以外にありえないのです。なぜなら人々は、ミックという名のロボットは彼しか知らないのだから……』
 そして彼は最後に一言、こう付け加えた。
『区別できるとしたら、私自身か、博士くらいなものです……いや、私でも無理ですかね。鏡は、完璧でないのが普通ですから』


 結局僕は、ずっと振り回されっぱなしだった。
 同僚に、他人に、機械に……
 だけどまぁ、こんなエンディングもありだろう。
 暖かい太陽の下、彼と一緒に散歩しながら思う。
 平和かつ平穏なら、これ以上何を望む?
 そこに共に生きる親友が加われば、もう言うことはないだろう。
 ――暖かい晩春の空気は、穏やかだった。


EXIT



 追記

 余談だが、USTIに渡ったミックのコピーは今でもミックとして稼動し続けている。
 つまり、彼は――人間に対する絶対的な忠誠を知らない機械は、永遠に人間を欺き続けているというわけだ。
 これはこれで、ちょっと面白いなと思う。









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