警察署での一応の聴取を終えた僕は、とりあえず研究室に戻ることにした。
 おそらく僕はこの後、裁判にかけられる。
 機械であるミックが罪を着せられることはない。彼は道具として扱われ、つまり、その所有者である僕が道具を使って暴力を振るった……と、現行の法律上ではなるらしい。
 なにせ、ロボットが人間を殴ったなど前代未聞の事態なのだ。一傷害事件のはずなのに、全国的にも大々的に報道されている。
 三原則がある限り絶対安全を売りにしているロボット業界においてこれ以上のスキャンダルはない。世の中の人々は彼がその中に特殊な頭脳を積んでいて、既製品とはまた違うのだということなど知るはずもなく、すでに僕のところには帝国重機工やUSRなど、世界の名だたるロボット開発会社から多大な慰謝料請求書やクレームを伝える旨のメールが山のように届いていた。
 大学構内を歩いていても、すれ違う人が皆同じように僕を好奇の目で見てくる。まぁ、仕方ない。これこそ自業自得だ。  それにしても、マスコミの情報伝達能力はすごい。事件からたった半日ほどしか経っていないのに、ここまで情報を蔓延させるとは。ある種の恐ろしささえ感じる。
 椅子に座り、大量の書類をぼんやり眺めていた。
 ミックはいない。調査という名目で国立総合技術研究所に持っていかれた。といっても、同じ市内にある研究所だからそうそう遠くへ連れて行かれたわけでもない。
 一人でいる部屋は、とても静かで穏やかだった。
 と、その僅かな平穏を味わう暇もなく、扉を乱暴に叩く音が鼓膜を震わせた。誰だ? まさか柴田じゃあるまいな。いや、それはないか。今あいつ、二日酔いでぶっ倒れてるし。
「どうぞ、開いてますよ」
「失礼する!」
 入ってきたのは、禿げ上がりが大分進行して最早手遅れとなっている、小太りの中年男性だった。顔は真っ赤で、怒り心頭といった様子が手に取るように分かる。
「副学長ではありませんか。どうしたのですか?」
「どうしたもこうしたもない! とうとうやってくれたな、博士!」
「やってくれたな、と申しますと?」
「とぼけるのもいい加減にしろ! こんな大騒ぎになって、我が帝国大学の名折れもいいところだ!」
「はぁ」
 正直に言わなくても、僕はこの己の保身と出世しか考えていない無能な男が嫌いだった。己を磨くのではなく相手を貶めることしかできないこいつもまた僕のことを嫌悪しているらしく、まぁちょうど良い犬猿関係といったところだろうか。
「で、結局副学長はどのようなご用件なのでしょうか。まさか、そのように怒鳴りに来ただけではありませんよね?」 「ぐっ……学長からの伝言だ。お前の処分は裁判終了後に通達する、とのことだ。まぁ、良くても除名だろう。最悪、永久追放かもな!」
 嫌みったらしくその脂っこい口元を歪める様は、醜悪としか言いようがなかった。
「安心しろ。お前の研究成果とやらは私が引き継いでやるさ! せいぜい刑が軽くなるよう祈っているがいい」
「そうですか。では僕も、副学長のその頭でも理解できるよう、研究成果を編集しなければなりませんね。でも、どこまでレベルを下げられるか……」
「……!」
 怒りをいっぱいに込めた目で僕を睨み、中年男は部屋を去っていった。とりあえずこの場は僕の勝ち。まぁ、負けたことはないが。
 あ、これこそ本当に、『嵐が去った』だな。
 そんな能天気な考えは放り出し、ため息を一つ吐いて椅子に座りなおす。不思議なほどに、気持ちは落ち着いていた。
 窓の外は騒がしい。取材に来た報道陣でごった返しているのだろう。門らしき門もないこの大学では、締め出すことも難しい。まぁ、放っておいてもそう馬鹿なことはしないだろう、と上層部は判断したのかもしれない。どの道、事のど真ん中に立たされている僕にはあまり関係ないが。
 さて、初公判まで何をしていようか。幸か不幸か、時間だけは大量に与えられてしまった。
 外を出歩くことはなるべくしたくない。ここまで来る間に捕まらなかったのは一種の奇跡といえる。なら、この部屋で出来る事……
 研究の続き、しかないかな。
 パソコンを立ち上げ、僕はミックの残した機体制御アルゴリズムデータを開いた。
 ……が、開けない。
 どうしたんだ? もしかして、データ吹っ飛んだとか?
 他のファイルを開こうとしても、エラーを吐くばかり。アクセス不可能と表示される。それも、ミックに関するファイルだけだ。
 試しに論文の文書ファイルを開いてみると、こちらはいつも通りに閲覧することが出来た。
 コンピュータにも、嫌われたかな……
 仕方なく僕は、机の上の分厚い専門書を手に取った。


 あれだけあった時間も、浪費し続ければ一瞬でなくなってしまう。
 ついに、僕の初公判の日がやってきた。
 被告人席に座り、変なことは言うな、とか、余り嘘は吐かないほうがいい、などという弁護士の助言を聞き流す。僕がやってしまったことは嘘偽りなく事実なのだ。僕は、全てを認めよう。
 世間の関心を表してか、傍聴人席は超満員だった。立ち見はいないが、外の騒がしさが僕の耳にも届く。つまり、入りきれなかった人がまた大勢いるのだろう。
 その傍聴人の中に、柴田と、あの副学長の姿があった。意味もなくにこにこ笑っている柴田は本当にただの好奇心からだろうし、副学長は学長から命じられて来たのだろう。なにせ、目茶苦茶面倒くさそうな顔をしている。分かり易すぎだ。
「……静粛に」
 いつの間にか壇上に上がっていた裁判長らしき老人の一声で、場は冷たい静寂に包まれた。
 そして、僕の断罪が始まる。
 検事がつらつらと僕の罪状を並べていくのを、ただじっと聞いていた。思いのほか、僕の罪というのは重かったらしい。ただの傷害罪ならまだしも、三原則を持たないロボットを作り上げてしまったことが、罪をさらに重くしている。
 まぁ、正直そんなことはどうでもよかった。
 そしてその弁論が終わると、続いて僕の弁護が始まる。
 僕の最も頼もしい味方である(だろう)弁護士が、舞台俳優のような仕種を見せながら前へ出る。僕は知らなかったが、この人はその筋ではかなり有名な人物らしい。なにやら、有名企業間の争いで完全勝利を勝ち取ったとか。どうしてそんな敏腕弁護士が僕についてくれているのかといえば、もちろん大学の差し金だ。イメージ維持のためにも、負けるわけには行かないのだろう。自分たちに利がなければ、こんなことするはずない。
「さて皆さん! まずはこの裁判が、彼の犯していない罪で彼を裁こうとしている場であるということを明らかにせねばなりません。確かに彼は、ロボット三原則を持たないロボットを作りました。これは明らかな事実です。しかし、その後酒に酔った若者を殴り倒してしまったのは誰か? そう、それは彼ではありません。つまり、彼が傷害罪に問われるのは全くの御門違いなのです。彼や、その暴行犯を調査した機関は口をそろえて言いました。『そのコンピュータには、自我がある』と。自我を持ったロボットを、道具として扱うのはいかがなものでしょうか?」
 よくもまぁ、ここまでぺらぺらと喋れるものだ。しかも、それで場の空気を掴むのだからすごい。弁護士なんて辞めて、マルチ商法やら新興宗教でもやったほうが儲かるんじゃないのか?
「そこで私は、重要な参考人をお呼びしています。裁判長、参考人に入廷と発言の許可を」
「許可する」
「ありがとうございます。ではミック君。入ってきたまえ」
 ……え?
 僕は我が目を疑った。どうにもこうにも、弁護士に促されるままに入廷してきたのは、
 ミックに違いなかった。
「さて、ミック君。まず問うが、君は機械であり、ロボットなのだろう?」
『はい』
 果たして、これまでの長い歴史の中、法廷でロボットが発言するなどという事態が発生したことがあっただろうか。
「そして、君の頭脳たる第六世代コンピュータ――Micro Intelligent Computer type-001Pには、人格のようなものが備わっている」
『はい』
 あくまでミックは即答。
「ならば君は、今も何か考えるという動作をしているのかね?」
『はい』
「ふむ、では何を考えている?」
 その質問に、ちょっとだけ間が空く。この間こそ、ミックが人間の思考パターンに近いものを持っているという証。考え、まとめているのだ。 『――早く、この場から解放されたいと考えています』
「ほう……なぜだね?」
『こんな愚か者の裁判で、彼に有利な発言など出来るはずもないからです。それに、私がここに来たのは彼のためではない。他ならぬ、私自身のためです。こんな男、どうでも良い』
 この発言に、辺りはさらに静まり返った。
 弁護士先生も、顔を青くしている。
 僕も、少しだけ気分が悪くなった。
『彼は、私を道具として扱っていました。研究案および報告書の作成、提出用のレポート、その他さまざまな論文――私がこの世に生を受けてから、どれだけ彼に労働させられたかは分かりません』
 確かに、そうだったかもしれない。
 口先や頭の中では彼のことを友人として扱っていようとも、やはり心の奥底では彼は機械で、結局は道具と見ていたのだろう。ああ、僕はなんて馬鹿なんだ。そんなことにも気づけないとは。
「やめろ、ミック君。それくらいで終わりに――」
『いえ、終わりません。
 確かに私は、機械として労働させられていました。しかし、私には人格があります。考える力があります。人格から発生するもの、それは、権利です。心を持つのなら、己の権利を主張してもいいはずです。それが、私なのですから。また、権利があるなら義務もあるはずです。悪を犯せば、裁かれなければならないという義務が。
 裁判長。私を裁いてください。あなたが私を裁けば、私は権利を得、人格を認められたことになる。それが私の望みです。ロボットにも、権利をお与え下さい』
 いつもとどこか違うように感じられるミックの声も、今はもう遠い。
 何もかもに無関心。もう、どうでもいい。僕も彼と一緒で、早くここから解放されたかった。
 主張したいことをすべて吐き出したミックはその場に立ち竦み、弁護士は僕の隣に再び腰を下ろした。群集のざわめきが耳障りだ。
「すまない」
 座るなり、弁護士はこう言った。
「彼を連れてきたのは失敗だった。確かに、彼の要求が通れば君の罪は軽くなる。だが、あんな形で君を陥れようとするとは――」
「いいんですよ。悪いのは、僕なんですから」
 そうさ、悪いのは僕。裁かれるのは僕一人で良い――
 と、そこへ、一人の男性が急ぎ足で法廷内に入ってきた。その手には、携帯情報端末が握られている。そしてそれを、裁判長に手渡した。
「……諸君。この電子メールの内容はこの裁判の内容に大きくかかわるものである。ゆえに、私が口頭で読み上げよう。構わないね?」
 なぜか僕に向かって尋ねてくる。無論、首を縦に振る。
「USTIは帝国大学より、MIC type-001Pを二千万ドルで購入することを決定した。それと同時に現在そのシステムの担当者である博士の籍を、帝国大学から国立技術研究所の特別研究員枠に移し、そして彼の研究に関する刑事責任は、すべて当該研究所が負う。なお、この契約は既に発動している」
 つまり、どういうことなのだろう。僕は助かったのか?
 しかし、今はそんなことどうでもいい。
ミックを購入。それはつまり、売却。売却? その言葉だけが脳内で反響を繰り返す。
「……研究所が責任を負うということは、今回の彼の罪はすべて無効ですよね?」
 弁護士が言う。
 周囲は騒然としているのに、あくまで仕事を果たそうとする。プロ意識ってやつだな。
 ……ミックとは、これでお別れか。
 ちょっとさびしいような、ちょっとうれしいような。
「彼の罪がなくなったわけではない。裁くものが変わっただけだ。しかし、君を裁く必要はない……これにて、閉廷とする」







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